(52)明けぬれば 暮るるものとは 知りながら

百人一首52番歌

明けぬれば
暮るるものとは
知りながら
なほうらめしき
朝ぼらけかな

「後拾遺集」恋2-672

 

by 藤原道信朝臣
972~994(23歳)

夜が明ければやがて日が暮れてまた逢えると知っていますが、それでもなお恨めしいのは去らなければならない明け方になることです。

詞書
「女のもとより雪ふり侍りける日かへりてつかはしける」
後朝(きぬぎぬ)の歌

 

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作者の藤原道信
父は太政大臣となる藤原為光
母は藤原伊尹(これただ)の娘。

父為光は、異母兄兼家と出世競争がありました。(寛和の変など)

道信は、兼家の養子となり活躍を期待されましたが、

養父藤原兼家が990年に、父為光が992年に亡くなって間もなく、道信も二十歳そこそこで(天然痘で)亡くなってしまいました。

大鏡」に、
道信が婉子女王(村上天皇の孫娘)に恋をして贈った歌が載っています。
婉子女王は、大資産家の藤原実資(さねすけ)の妻となり、道信は失恋したということです。

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後に道信の養父兼家の家系は大いに栄え、五男・道長の時に全盛を迎えます。

道信は早世してしまいましたが、兄の藤原斉信(ただのぶ)は時の権力者藤原道長の腹心の1人として活躍しました。

藤原斉信・公任(きんとう)・行成・源俊賢(としかた)の4人は一条天皇時代の「四納言」と呼ばれています。

 

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