(58)有馬山 いなのささ原 風吹けば

百人一首58番歌

有馬山
いなの篠原(ささはら)
風吹けば
いでそよ人を
忘れやはする

 

「後拾遺集」恋2-709

by 大弐三位(だいにのさんみ)
999年頃生まれ~没年未詳
紫式部(57番歌)の娘賢子
中宮彰子に仕えた

 

「後拾遺集」の詞書
「離れ離れ(かれがれ)なる男の、おぼつかなくなど言いたるに詠める」

おぼつかない=心変わりしたのではないかと気がかり、というので詠んだ。

 

(猪名野=摂津国、今の大阪府北中部と兵庫県南東部あたりの歌枕)

 

有馬山の麓の猪名の笹原に風が吹きわたると、そよそよとゆらぎます。

おぼつかないなんて、ありま(有馬)せん、否(猪名)よ、私が貴方を忘れるはずがないでしょう。


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大弐三位は、紫式部と、藤原宣孝の娘賢子です。

2、3歳頃に父と死別し、母紫式部とともに祖父の藤原為時に養われたようです。

そして、母紫式部とともに一条天皇中宮彰子に仕えることになりましたが、まもなく母紫式部にも死別しました。

紫式部は長和3年(1014年)頃、41、2歳で亡くなったと推定され、そのころ賢子は15、6歳頃で、翌々年には祖父為時も出家してしまいました。

賢子は、定頼、兼隆らと恋をし、兼隆の子供を産んだとき、後冷泉天皇が誕生され、賢子はその乳母に選ばれました。

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58番(有馬山・・)の歌の相手の男は64番歌作者藤原定頼のことで、60番歌小式部内侍の男と同じ定頼です。

大弐三位(58)は、紫式部(57)の娘。
小式部内侍(60)は、和泉式部(56)の娘。

大弐三位(58)と小式部内侍(60)は、女流作家2世という同じ境遇で百人一首の歌も似ています。
相手も同じ男。

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賢子はしだいに出世して従三位典侍とすすみ、36、7歳の頃、高階成章(たかしなのしげあきら)と結婚しました。

高階成章は太宰大弐(太宰府長官)だったため、
高階成章と結婚した賢子は大弐三位と呼ばれます。

田辺聖子さんの本によると、賢子は若き日には貴公子らとシッカリ恋を楽しみ、仕事の業績もあげて立身し、中年になって大金持ちの高級官僚と結婚した、とあります。

紫式部の娘は10代から宮廷女房として活躍した快活な才気ある女性だったようですね。

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