itukaの雑記帳

Bonne Journee

(91)きりぎりす 鳴くや霜夜の さむしろに

百人一首91番歌


きりぎりす
鳴くや霜夜の
さむしろに
衣かたしき
独りかも寝む


新古今集」秋下518
「百首歌たてまつりし時」


by 後京極摂政前太政大臣
藤原(九条)良経
1169~1206
藤原忠通(76番歌)の孫
九条家を興した兼実の息子
御子左家のパトロン

鎌倉幕府4代将軍九条頼経の祖父


九条家

初代は兼実(藤原忠通の6男)

良経

道家

頼経(鎌倉幕府4代将軍)


コオロギの鳴く霜夜の寒いむしろに、衣だけ敷いてただ独り寝ることになるのでしょうか。

共寝する相手のいない秋の夜のわびしさを詠んだ歌です。
良経は、この歌を作る直前に愛妻を亡くしたそうです。


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1196年(建久7年)建久の政変で、政敵・源通親らに陥れられ父・兼実と共に朝廷から追放されます。

1198年、源通親は外孫土御門天皇を即位させ、朝廷の実権を掌握しました。

その後、藤原良経は後鳥羽院の信頼を回復し、土御門天皇の摂政となり、1204年に太政大臣に任ぜられました。

1205年に太政大臣を辞任し、翌年38歳で急死しました。


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良経は和歌、書道、漢詩に優れ、書風は「後京極流」と呼ばれ百人一首の名前にとられています。

後鳥羽院の命により「新古今集」の編纂が始まると、
良経の主催した「六百番歌合」や後鳥羽院主催の「千五百番歌合」も撰歌の母胎になりました。
良経は、新古今集の仮名序を執筆しましたが、「新古今集」完成の前に急死しました。


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平安末期頃、古い時代の歌、古歌の1部をとりこんで歌を作る「本歌取り」が行われていました。


『教養として、古来の名歌はたいてい知っているので』
『歌の背後に古歌の光彩が射し、歌は微妙に色合いを変えて趣ふかく、面白くなる』
田辺聖子さんの本より)

「きりぎりす鳴くや」のこの歌も古今集万葉集から本歌取りしているということです。

古歌の代わりに物語や漢詩文を用いた場合は「本説」といいます。


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