(96)花さそふ 嵐の庭の 雪ならで

百人一首96番歌


花さそふ
嵐の庭の
雪ならで
ふりゆくものは
我が身なりけり


「新勅撰集」雑・1054


by 入道前太政大臣
藤原公経=西園寺公経
1171~1244
藤原実宗の子
定家の義弟
西園寺家の祖


桜の花を吹き散らす嵐の日の庭に、雪のように降る花びら、それは老いて古(ふ)りゆく我が身のようです。


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公経の妻は、源頼朝の妹の娘。

公経は、後鳥羽院が倒幕を企てた承久の乱の時、計画を知って幕府に内通し、幕府の勝利に貢献しました。

乱の後、その功績で太政大臣に昇りつめました。

公経の娘婿の九条道家は関白、
九条道家の子・頼経は鎌倉幕府の第4代将軍。
孫娘は後嵯峨天皇中宮


公経は、病で61歳で出家し、京都北山に西園寺を建てて住みました。

その頃詠んだ歌が、96番歌(花さそふ・・)です。

権勢、栄華を極めた身でも老いていくのだと、舞い散る桜を詠んだ歌。

本歌は小野小町の「花の色は・・」(9番歌)です。


公経が74歳で没したのち、西園寺家関東申次(かんとうもうしつぎ=京の朝廷と鎌倉幕府の連絡役)を代々世襲しました。


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公経の姉が定家の後妻なので、定家は西園寺家の庇護を受けて承久の乱後は家運を盛り返しました。

公経との縁で、定家は将軍実朝(93番歌)の和歌の先生となりました。


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公経の建てた西園寺は、後に足利義満が譲り受けて別荘としました。
足利義満はその地に、鹿苑寺舎利殿金閣寺」を建てました。


後世、公経の子孫には、総理大臣・西園寺公望徳大寺公純の子、西園寺家の養子となる)がいます。