2番目の勅撰和歌集「後撰集」

2番目の勅撰和歌集

後撰和歌集

勅命 村上天皇

953年(天暦7年)頃成立

20巻 1425首

撰者は
和歌所が宮中の昭陽舎(庭に梨の木がある)に置かれたことから
「梨壺(なしつぼ)の五人」といわれます。

後撰集」撰集と同時に「万葉集」の訓釈作業も行われました。

撰者
大中臣能宣
清原元輔
源順
紀時文
坂上望城

☆「後撰集」には撰者5人の歌は一首も入集していない

☆和歌所の別当藤原伊尹(謙徳公)の歌は2首入集


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後撰集」から
百人一首には7首収載されています。


百人一首第1番歌は
後撰集」巻六 秋中302の歌

秋の田の
刈り穂のいほの
苫をあらみ
わが衣手は
露に濡れつつ

by 天智天皇


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百人一首20番歌は
後撰集」恋5 960

詞書
事出て来てのちに京極御息所につかはしける

わびぬれば
今はた同じ
難波なる
身をつくしても
逢はんとぞ思ふ

by 元良親王陽成天皇の第1皇子)

京極御息所との密会が露見した時に詠んだ歌

京極御息所は、宇多天皇の女御で雅明親王ら3皇子の母

藤原定家は、この歌を高く評価し「近代秀歌」「秀歌体大略」「八代集秀逸」にも収載しています。


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古今集」「後撰集」「拾遺集」を合わせて「三代集」と言います。


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