10番目の勅撰和歌集「続後撰集」

「続後撰和歌集

しょくごせんわかしゅう

勅撰和歌集の10番目。

十三代集の2番目。

宣下 後嵯峨上皇

撰者 藤原為家

1251年成立

1371首


「続後撰集」と「続古今集」は共に

宣下・後嵯峨上皇、撰者・藤原為家(定家の息子) 


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1241年
藤原定家、逝去

1242年
後嵯峨天皇即位

1244年
鎌倉4大将軍頼経の子・頼嗣が6歳で5代将軍となる。

1246年
九條道家が幕政から排除され、西園寺家関東申次となる。

同年、後嵯峨天皇後深草天皇に攘夷

鎌倉幕府に擁立された後嵯峨天皇は、幕府と良好な関係を築き、
譲位後は、承久の乱後に衰退した宮廷文化の復興、内裏歌壇の復活を進めた。

嵯峨院
1248年、勅撰和歌集編纂の院宣を下し、
1251年に「続後撰集」が奏上された。


1252年
九条頼嗣(14歳)が将軍職を廃され、後嵯峨院の第1皇子・宗尊親王が鎌倉6代将軍となる。

宗尊親王は、後嵯峨院天皇に即位する前の子(中宮の子ではない)であったため、弟たちが即位していた。


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「続後撰集」という集名は、第2番目の勅撰和歌集後撰集」を踏襲したという意味。



主な歌人
藤原定家 43首
西園寺実氏 34首
後鳥羽院 29首
藤原良経 29首
藤原俊成 28首
土御門院 26首
嵯峨院 25首
慈鎮(慈円) 22首
藤原知家 19首
九条道家 19首
藤原家隆 18首
順徳院 17首
藤原信実 17首
和泉式部 16首
式子内親王 15首

撰者の藤原為家は11首、
歌人の家として、父の定家、祖父の俊成を重視し、
前集の新勅撰集では収載されなかった後鳥羽院、土御門院、順徳院の歌を多く入集しています。

王朝の復興がみられる勅撰和歌集です。


最初の歌
巻1 春上1

としのうちに
春たちぬとや
吉野山
霞かかれる
峯の白雪

by 俊成

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