風雅集 その4 永福門院

「風雅和歌集」の勉強のために日本詩人選14「式子内親王・永福門院」を読みました。
昭和47年発行の古い本。

10代の半ばで敗戦を知った作者・竹西寛子さん。
「心」という言葉が好きだそうです。
永福門院は「冷たい世界に旅されている」と表現しています。

永福門院は、
1271年に生まれ
1288年に、即位後間もない伏見天皇の女御として入内し中宮となりました。
1298年、伏見天皇譲位に際して女院の号を受けました。

1316年に出家
1317年に伏見院が崩御
1342年、永福門院薨去

永福門院の生涯は、亀山、後宇多、伏見、後伏見、後二条、花園、後醍醐、後村上天皇と八代にわたりました。

この間の主だった政変は
1271年 日蓮佐渡流刑
1274年 文永の役
1281年 弘安の役
1283年 延暦寺僧の御所乱入
1297年 永福門院の歌の師京極為兼佐渡流刑
1303年 「新後撰集」成立
1312年 「玉葉集」成立
1315年 為兼再度の佐渡流刑
1320年 「続千載集」成立
1333年 建武中興
1336年 南北朝分裂
1338年 室町幕府開幕

このような冷たい世界を旅する永福門院の歌は
『曖昧なものがそがれて、冴えわたる空気のなかに輪郭のかっきりとした景物だけを浮かべているような』「叙景歌」と書かれています。
(引用しました)

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永福門院の御歌
玉葉集」より

つらきをば
更にもいはず
人心
あはれなるにも
ものをこそ思へ

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「風雅集」より

群雲に
隠れあらはれ
行く月の
晴れもくもりも
秋ぞかなしき


「永福門院百番御自歌合」より

夕立の
雲も残らず
空晴れて
すだれをのぼる
宵の月影


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皇統の争いと歌の家の争いが絡んでいる時勢に
沢山歌を詠み、歌合を催した永福門院
「表面が華やかであればあるほど内面のうつろさ、生活者としての違和感の強さが推し量られる」
この後、日本の和歌は長い冬に入る、と書かれています。


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追記

式子内親王
(しょくし/しきし(のりこ)ないしんのう)
久安5年(1149年) ~ 建仁元年(1201年)

日本の皇族。賀茂斎院。
平安時代末期から鎌倉時代初期に活躍した皇女、歌人新三十六歌仙、女房三十六歌仙の一人。

後白河天皇の第3皇女。
母は藤原成子(藤原季成の女)で、守覚法親王・亮子内親王(殷富門院)
高倉宮以仁王は同母兄弟。
高倉天皇は異母弟にあたる。
萱斎院、大炊御門斎院とも呼ばれた。


永福門院
文永8年(1271年)~康永元年(1342年)



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