元号 大永・享禄・天文・弘治の頃

1521年
後柏原天皇即位式が挙行される。
践祚は1500年)

元号が永正から大永に改元される。

同年、武田太郎(武田信玄)誕生


1522年
足利義晴が将軍に就任する。


1523年
 「寧波の乱」
 「大永の内訌(ないこう)」


1524年
 「大永の五月崩れ」


1526年
駿河守護・今川氏親が家法三十三箇条(今川仮名目録)を制定。 


同1526年
後柏原天皇崩御
後奈良天皇践祚
即位式は10年後となる)


同1526年
讒言を信じた細川高国が、有力配下の香西元盛を上意討ち。
元盛の兄弟たち(波多野元清・柳本賢治)が高国に離反、敵対する。


同1526年
細川澄元の遺児 六郎(晴元)が、亡父の仇である高国を打倒すべく阿波で挙兵。

細川氏管領争いが再燃。

畿内まで進出した晴元軍が、高国から離反した波多野軍と合流。


1527年
「 桂川原の戦い」
管領細川高国細川晴元の連合軍に大敗。
高国は将軍足利義晴を奉じて京から落ち延びる。
評定衆や奉行人まで逃げ出したため、幕府の政治機能が麻痺。


1528年
元号が大永から享禄に改元される。


1531年
「大物崩れ」
管領細川高国が大敗の末、自害。


1532年
一向一揆による和泉顕本寺への焼き討ち。
三好元長、自害。
足利義維は阿波へ逃亡(堺公方の消滅)

同1532年
室町幕府第12代将軍足利義晴の申請により天文に改元


1532年
山科本願寺焼き打ち。
京都町衆の法華一揆で宗徒と六角氏による襲撃。


1533年
 島津義久、誕生
 朝倉義景、誕生
 小早川隆景、誕生


1534年
 細川幽斎、誕生
 織田信長、誕生


1535年
 「森山崩れ」
尾張森山に滞陣中の松平清康、陣中にて誤殺される。


1536年
後奈良天皇即位式
後北条氏大内氏、今川氏などの大名の寄付により挙行される。
践祚は1526年)


1536年
「天文法華の乱」
法華宗と対立する延暦寺衆徒が京都の法華一揆を破り21の寺院を焼く。

 足利義輝、誕生
 佐々成政、誕生

この頃(不明)豊臣秀吉、誕生


1537年
 足利義昭、誕生

1538年
 足利義栄、誕生
 前田利家、誕生
 北条氏政、誕生


1541年
甲斐国守護武田家で武田晴信(後の武田信玄)が父の信虎を追放して当主交代。
当主となった晴信は海野平合戦を契機に信濃侵攻を開始。


1542〜1548年
 「天文の乱」


1542〜1543年
ポルトガル船が種子島に漂着し、鉄砲が日本に伝来


1543年
松平竹千代(徳川家康)誕生


1545〜1546年
第二次河東一乱、河越城の戦いを乗り切り、北条氏康が大きく勢力を伸ばす。


1546年
足利義輝室町幕府13代将軍に就任。


1548年
長尾景虎(後の上杉謙信)が兄・晴景に代わって家督を継ぎ越後・春日山城に入城。


1549年
美濃国斎藤道三の娘濃姫尾張国織田信長に嫁ぐ。


1549年
「江口の戦い」(江口合戦)
三好長慶が主筋の管領細川晴元に逆らって三好政長(宗三)を討伐。

(その後、三好長慶の攻勢を恐れた細川晴元が将軍一家を伴って京から退去。三好長慶が幕府の実権を掌握。細川政権は劣勢を挽回できず終焉にむかう。)


1549年
フランシスコ・ザビエルが乗った船が鹿児島に到着。上陸。


1549年
織田信秀三河安祥城を今川氏に奪われる。
信秀の庶長子であった城主・織田信広は捕らわれ、織田氏三河から締め出される。


1549年
三河の松平領が今川義元支配下となり、竹千代(後の徳川家康)が今川の人質として駿府へ出立。


1550年
「二階崩れの変」
豊後守護・大友義鑑が、家臣に襲撃され、重傷を負う。2日後に死去。


1550年
足利義晴、近江で亡くなる。


1551年
大寧寺の変
周防の戦国大名大内義隆が、守護代陶晴賢たちの軍勢に攻められ、逃亡先の長門大寧寺にて自害。
大内氏滅亡。


1555年
厳島の戦い
毛利元就が、安芸国厳島陶晴賢を破る。
陶晴賢は自害。
この後、元就は大内氏の旧領を併合していく。


元号が、天文から弘治に改元される。


上杉景勝が誕生)


1556年
美濃国の大名斎藤義龍が、
長良川の戦いで父の斎藤道三を討ち取る。(道三崩れ)


藤堂高虎が誕生)

1557年
第三次川中島の戦い
信濃国川中島甲斐国武田晴信(信玄)と越後国長尾景虎上杉謙信)の軍勢が衝突。


1557年9月
後奈良天皇崩御(宝算61)


1558年
☆永禄に改元


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