室町15代将軍足利義昭(室町時代おわり)

室町幕府最後の将軍
足利義昭(よしあき)
1537〜1597
将軍在職
1568〜1588


1537年(1歳)
義昭誕生
12代将軍足利義晴の次男
母は慶寿院(近衛尚通の娘)
幼名は千歳丸

1542年(6歳)
奈良の興福寺一条院へ入り覚慶(かくけい)と名乗る


1546年 9歳
兄(11歳)義輝が13代将軍となる

同年、織田信長元服

1558年
木下藤吉郎豊臣秀吉)が信長に仕える

1560年
桶狭間の戦い

1562年
信長が松平元康(徳川家康)と同盟を結び尾張国を統一

1565年(29歳)
永禄の変
兄の13代将軍義輝が松永久秀三好三人衆に暗殺される。


1566年(30歳)
近江国に逃れていた覚慶は還俗して、義秋(よしあき)と名乗り、
のち、越前国朝倉義景のもとに身を寄せ、名を義昭と改める。

この頃
朝倉義景主催の糸桜を観る会で義昭が詠んだ歌

 もろ共に
 月も忘るな
 糸桜
 年の緒ながき
 契りと思はば

義景の歌は

 君が代
 時にあひあふ
 糸桜
 いともかしこき
 今日の言の葉



1568年(32歳)
織田信長に奉じられて上洛
15代将軍に就任する。


1569年
本國寺の変

信長が将軍御座所として築いた二条城に移る。

信長が(大坂本願寺顕如などとの)戦に赴き多忙な最中、
義昭は将軍権力の再構築を図り、諸国に御内書を送るが、
信長に殿中御掟を突きつけられ、
信長と対立する。


1573年(37歳)

将軍義昭は、浅井氏、朝倉氏、武田氏の味方を得て反信長の兵を挙げるが、
武田信玄が死去し「信長包囲網」が崩れる。

細川藤孝ら義昭の家臣が信長方に寝返る。

信長は義昭の住む二条城を包囲。

義昭は宇治の槙島城に逃れるが、信長に包囲され降伏し追放される。

これにより室町幕府は滅亡
安土桃山時代となる。

同年、
元号が「元亀(げんき)」から「天正(てんしょう)」に改元される。


この頃、浅井氏、朝倉氏が滅亡、
1575年には
長篠の戦い」で武田氏が信長軍に敗れる。


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追放された将軍義昭は各地を放浪する。

1576年(40歳)
義昭、毛利氏の勢力下の備後国広島県)に落ち着き、幕府の再興を目指す。

織田信長安土城の築城を開始。


1576〜1578年
木津川口の戦い
石山本願寺VS織田信長
第一次木津川口の戦いは、石山本願寺の勝利
第ニ次木津川口の戦いは、信長の勝利
石山本願寺は、2年後1580年に開城。顕如が大坂を去り、石山合戦終戦。)


1578年
義昭が協力の御内書を送っていた上杉謙信が死去


1579年
安土城の天主が完成する。


1582年
本能寺の変


1583年
秀吉、石山本願寺(大坂本願寺)跡に大阪城の築城を開始、2年後に天守閣が完成。


1585年
秀吉、関白となり豊臣姓を賜る。


1586年
正親町天皇が皇孫の後陽成天皇に譲位。


1588年(52歳)
義昭、将軍職を辞す。
仏門に入り、昌山道休と名乗る。
朝廷より准三宮の称号を賜る。


1590年
小田原の役
秀吉が天下統一
家康が江戸城に入る


1592年
元号が「天正」から「文禄」に改元される。

この頃
義昭は、秀吉の側近(御伽衆)に加わる。
秀吉より山城国槙島に1万石の領地を拝領する。


1592年
秀吉の伏見城が完成する。

同年
文禄の役

1593年
豊臣秀頼誕生


1597年
義昭、腫物を病み死去。(61歳)

同年
慶長の役

1598年
秀吉、死去(62歳)


1600年
関ヶ原の戦い


1603年
徳川家康征夷大将軍に就任し江戸幕府を開く。


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