(71)夕されば 門田の稲葉 おとづれて

百人一首71番歌

夕されば
門田(かどた)の稲葉
おとづれて
葦のまろやに
秋風ぞ吹く

 

「金葉集」秋173

by 大納言経信
源経信、つねのぶ)
1016~1097
宇多源氏の公卿
74番歌俊頼の父
85番歌俊恵法師の祖父

 

夕されば=夕方になると

葦のまろや=葦葺の粗末な小屋(源師賢の山荘のこと)

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詞書
「師賢朝臣の梅津に人々まかりて田家秋風といへることをよめる」

師賢朝臣
源師賢(もろかた)
宇多源氏の貴族

梅津=京都左京区梅津

貴族達が、源師賢の梅津の山荘で「田家の秋風」というテーマで歌を詠み競ったときの歌。

夕方の田園の別荘で、門の前には稲穂が実り、そよそよと秋風が吹く、美しい風景が浮かびます。

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源経信勅撰和歌集に多く選ばれ、数々の歌合の判者となり歌壇で重きをなしました。

和歌、漢詩、管弦、蹴鞠など諸事を得意としました。

息子の源俊頼(74番歌)、孫の俊恵法師(85番歌)と三代続けて百人一首に選ばれています。

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源経信は大納言になり、晩年80歳で太宰府に赴任し82歳で赴任地にて亡くなりました。

 

時代は、藤原道長、頼通らが亡くなり、藤原一族の権勢に影が差し始めてきました。

 

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