2020-10-01から1ヶ月間の記事一覧

(84)ながらへば またこのごろや しのばれむ

百人一首84番歌ながらへば またこのごろや しのばれむ 憂しと見し世ぞ 今は恋しき「新古今集」雑下1843 by 藤原清輔朝臣 1108~1177 79番歌・藤原顕輔の息子 六条藤家3代目 生き長らえたとしたら、またこの頃が懐かしく思い出されるようになるのでしょうか。あ…

(83)世の中よ 道こそなけれ 思ひ入る

百人一首83番歌世の中よ 道こそなけれ 思ひ入る 山の奥にも 鹿ぞ鳴くなり 「千載集」雑中1-151 「述懐百首の歌詠みはべりけるとき、鹿の歌とて詠める」 by 皇太后宮大夫俊成 藤原俊成 1114~1204 藤原定家の父 藤原北家・御子左家の歌道の祖 「千載集」の撰者 この…

(82)思ひわび さても命は あるものを

百人一首82番歌思ひわび さても命は あるものを 憂きに堪へぬは 涙なりけり 「千載集」恋3-817 by 道因法師 俗名藤原敦頼 1090~1182頃 83歳頃出家 恋に思い悩んで苦しいが、それでも死ぬこともなく生きているのに、辛さを堪(こら)えきれずにこぼれ落ちる、…

番外メモ 藤原実定と平安末期

百人一首81番歌作者・藤原実定と平安末期 藤原実定は、3歳で従5位下に叙されてから順調に出世しました。1156年、保元の乱 1159年、平治の乱が起こりました。やがて平氏が興り、平清盛一門が政権を握りました。 1164年、藤原実定は、26歳で権大納言になりまし…

(81)ほととぎす 鳴きつる方を 眺むれば

百人一首81番歌ほととぎす 鳴きつる方を 眺むれば ただ有明の 月ぞ残れる 「千載集」夏161 「暁に時鳥を聞くといへる心を詠み侍りける 右大臣」 by 後徳大寺左大臣 藤原実定(さねさだ) 1139~1191 藤原公能(きんよし)の嫡男。 俊成の甥 定家の従兄弟実定の姉…

(80)長からむ 心も知らず 黒髪の

百人一首80番歌長からむ 心も知らず 黒髪の 乱れて今朝は ものをこそ思へ 「千載集」恋3・801 「百首歌たてまつりける時恋の心をよめる」by 待賢門院堀河 生没年未承認 神祇伯(じんぎはく)源顕仲の娘 崇徳院の母待賢門院璋子に仕えた女房。 末長く変わらないお…

(79)秋風にたなびく雲の絶え間より

百人一首79番歌 秋風にたなびく雲の絶え間よりもれ出づる月の影のさやけさ 「新古今集」秋上413『崇徳院に百首たてまつりけるに』 by 左京大夫顕輔(藤原顕輔)さきょうのだいぶあきすけ1090~115584番歌・藤原清輔の父。崇徳院の命で「詞花集」の撰者となる。六…

(78)淡路島 かよふ千鳥の 鳴く声に

百人一首78番歌淡路島 かよふ千鳥の 鳴く声に 幾夜(いくよ)寝ざめぬ 須磨の関守(せきもり)「金葉集」冬280 『関路の千鳥といへることを詠める』by 源兼昌 生没年未承 宇多源氏の末裔。 1100年以降の歌合に参加。 1128年には出家していた。 淡路島と須磨を…

番外メモ 平忠度の歌

番外メモ 百人一首83番歌の作者・藤原俊成(定家の父)と平忠度(たいらのただのり)百人一首には武士の歌は選ばれてませんが、藤原俊成に師事した平忠度は、1183年、平清盛と共に死出の旅に向かう時、俊成に和歌集を託しました。 平清盛が、六波羅に火をはな…

番外メモ 百人一首の後半

百人一首 番外メモ 百人一首後半は、保元の乱や平治の乱が起こり平清盛が政治の実権を握り、そして滅び、源氏の鎌倉武家政権が始まった時代の人々の歌。76番歌の作者・藤原忠通は、保元の乱、平治の乱を生き抜いた人。77番歌の作者・崇徳院 保元の乱で後白河…

(77)瀬を早み 岩にせかるる 滝川の

百人一首77番歌瀬を早み 岩にせかるる 滝川の われても末に 逢はむとぞ思ふ「詞花集」恋上『題知らず』229 by 崇徳院 1119~1164 第75代天皇崇徳天皇の父は鳥羽天皇。 母は、待賢門院璋子(藤原公実の娘) 滝川の流れが早いので、岩にあたって急流が2つに分か…

(76)わたの原 漕ぎ出でてみれば 久方の

百人一首76番歌 わたの原 漕ぎ出でてみれば ひさかたの 雲居にまがふ 沖つ白波 「詞花集」雑下382 by 法性寺入道前関白太政大臣 ほっしょうじのにゅうどう・さきのかんぱく・だじょうだいじん) 藤原忠通 1097~1164 藤原北家 書の法性寺流の始祖 大海に舟を漕…

(75)契りおきし させもが露を 命にて

百人一首75番歌 ちぎりおきし させもが露を 命にて あはれ今年の 秋も去(い)ぬめり 「千載集」雑上1023 by 藤原基俊 1056~1142 右大臣藤原俊家の子 75番歌藤原基俊も、74番歌源俊頼と同じく堀河院歌壇のひとりで、歌合の論評で対立するなどライバルだったよう…

(74)憂かりける 人を初瀬の 山おろしよ

百人一首74番歌 憂かりける 人を初瀬の 山おろしよ はげしかれとは 祈らぬものを 「千載集」恋2-707 by 源俊頼朝臣 1055~1129 宇多源氏の末裔 71番歌・源経信の3男 85番歌・俊恵法師の父 74番歌は「千載集」詞書によると、藤原定家の祖父藤原俊忠の邸で「祈れど…

(73)高砂の 尾の上の桜 咲きにけり

百人一首73番歌 高砂の 尾上(をのへ)の桜 咲きにけり 外山(とやま)の霞 立たずもあらなむ 「後拾遺集」春上120 by 前中納言匡房(大江匡房) さきのちゅうなごんおおえのまさふさ 1041~1111 59番歌赤染衛門の曾孫 心待ちにしていた彼方の高い山の頂きの桜…

番外メモ 「堀河院艶書合」を主催した堀河天皇の時代

「堀河院艶書合」を主催した堀河天皇は第73代天皇。 (1079-1107) 白河天皇の第2皇子。 母は中宮賢子(藤原師実の養女。実父は源顕房)で、1084年に亡くなりました。 異母弟の皇太子実仁親王が死去したため、1086年に立太子し、即日父白河帝の譲位を受けて8歳で即…

(72)音に聞く 高師の浜の あだ波は

百人一首72番歌 音に聞く 高師の浜の あだ波は かけじや袖の 濡れもこそすれ 「金葉集」恋下469 by 祐子内親王家紀伊 生没年不詳 後朱雀天皇の皇女祐子内親王の女房 (有名な高師の浜の波にはかからないようにします。袖が濡れてしまっては困りますから) 「金…