(20)わびぬれば 今はた同じ難波なる

百人一首20番歌

わびぬれば
今はた同じ
難波(なには)なる
みをつくしても
逢はむとぞ思ふ

後撰集」恋・961

by 元良(もとよし)親王
陽成天皇の第1皇子
(890~943)

 

後撰集」の詞書によると、
宇多天皇上皇、または法皇)の女御「京極御息所(みやすどころ)」との恋が知れてしまった後に詠んで贈った歌だそうです。

(京極御息所は、雅明親王ら3皇子の母)

 

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わびぬれば=
すでに(恋に)苦しんでいるので

澪標(みおつくし)=
海に建てられた標識。水深や航路など、船への案内の為の杭。

 

すでに恋のつらさに苦しんでいるので、今更世間に知られようと、難波にある澪標ではないけれど、身を尽くし、命をかけてでもお逢いしたいと思っています。

 

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元良親王は、父・陽成天皇が(17歳で)退位後に生まれたため天皇にはなれませんでした。沢山の女性に歌を詠み贈ったそうです。

宇多天皇の女御・京極御息所(藤原褒子・ほうし・よしこ)は、左大臣藤原時平の娘。
藤原時平は、藤原基経の長男。

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天皇上皇法皇)の后との恋。
しかも、父を退位に追い込んだとされる人の長男の娘との恋。
世間に知られてしまってから詠んで贈ったという、ドラマになりそうな歌ですね。

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難波=大阪

澪標は、大阪市の市章・市旗などのシンボルマークになっています。

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