(35)人はいさ 心も知らず 古里は

百人一首35番歌

人はいさ
心も知らず
古里は
花ぞ昔の
香ににほひける

 

古今集・春上42

by 紀貫之
868頃~945
36歌仙の一人
古今集撰者の一人
古今集仮名序を書いた人
土佐日記」の著者

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人の心はさあどうでしょうね、判りません。けれど昔なじみのこの里では、梅の花がかつてと変わらず美しく咲いて良い香りですよ。

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古今集の詞書
初瀬に詣づるごとに宿りける人の家に、久しく宿らで、程へて後にいたれりければ、かの家の主人、
「かく定かになむ宿りは在る」と言い出して侍(はべ)りければ、
そこに立てりける梅の花を折りて詠める

 

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初瀬=初瀬の長谷寺奈良県櫻井市初瀬町の長谷寺

奈良の桜井市は、日本書紀古事記などにも登場し、万葉の歌碑があちこちに点在しているそうです。

 

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久しぶりに泊まりにいった宿の主が
「こんな風にちゃんと泊まる宿はありますよ(なのにご無沙汰でしたね)」
と言うので、
そこに立っていた梅の木から、花が咲いてる枝を折って詠んだ。

梅の花は昔と変わらず咲き薫ってますけれど、あなたの心は以前と変わらずに思ってくれてたでしょうか、さてどうでしょう」

洒落たやり取りですね~

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紀貫之は、古今集の仮名序で和歌について述べました。

仮名序の冒頭
「やまとうたは、人の心を種として、万の言の葉とぞなれりける」

そして、世阿弥は、仮名序の一節
高砂、住之江の松も、相生のように覚え」から能「高砂」を創り出し、
「言の葉草の露の玉、心を磨く種となりて」と、和歌の素晴らしさを詠んでいます。

藤原定家が選んだ百人一首
34番歌には「高砂の松」が登場し
35番歌は紀貫之の歌が登場しました。

 

和歌を愛した人々
紀貫之は、868年頃~945年
藤原定家は、1162年~1241年
世阿弥は、1363年頃~1443年頃に活躍しました。

紀貫之から1000年以上過ぎた今も、和歌(やまとうた、心を磨く種からできた歌)が詠まれているのは素晴らしいと思います。

 

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紀貫之土佐日記」の原本は失われていますが、4系統の写本が伝わっています。

 

写本、定家本の「土佐日記」は、巻末に紀貫之自筆本の巻尾を臨書していて、国宝となっています。

 

土佐日記」は、紀貫之国司として赴任した土佐から、任期を終えて京へ帰る一行の55日間を書いた作品です。

 

書き手を女性に仮託し、ほとんどを仮名で日記風につづり、57首の和歌が詠まれています。

 

行くときには一緒だった娘が、土佐で赴任中に亡くなり、帰りには一緒ではない悲しみが多く綴られています。

 

〈最後の章〉

紀貫之一家が帰宅した屋敷では、5年六年(いつとせむとせ)のうちに、千年も過ぎたかのように松が半分枯れてしまっていましたが、
新しく生えた松も混じっていました。

 

『この家にて生まれし女児の、もろともに帰らねば、いかがは悲しき』

 

生まれしも
帰らぬものを
我が宿に
小松のあるを
見るが悲しさ

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