百人一首68番歌
心にも
あらで憂き世に
ながらへば
恋しかるべき
夜半の月かな
「後拾遺集」雑1-860
by 三条院
976~1017
冷泉天皇の第2皇子
1011年に即位
1016年に後一条天皇に譲位
心ならずも、この辛い世に生きながらえてしまったならば、きっとこの夜更けの月が恋しく思い出されることでしょう。
68番歌は、三条天皇が譲位を目前にした時の歌です。
内裏が火事になったり、眼病で失明寸前、体調もすぐれず、藤原道長に譲位を迫られて苦悩する日々に詠んだ歌。
宮中での美しい月は、もう見ることが出来なくなるでしょう、もし生きながらえたならば懐かしく思い出すでしょう、と。
1016年に、三条天皇は譲位し、藤原道長の外孫の敦成親王(一条天皇と彰子の皇子)が即位し後一条天皇(8歳)となりました。
譲位後、三条院は出家しましたが、その翌年に崩御されました。
この切ない歌を詠むと、
三条院が娘の当子内親王と63番歌の藤原道雅との仲を裂いたのは、
娘が藤原道長の政敵だった一家と関わり不遇になることを避けたかったのでしょうかと思えます。
三条天皇は、譲位の際に後一条天皇の次の天皇・皇太子を三条天皇の第一皇子敦明親王に定めました。
三条院が崩御すると、皇太子敦明親王は、藤原道長の圧力により皇太子を辞退させられ、敦良親王(後一条天皇の弟)が皇太子となり即位して後朱雀天皇となりました。
藤原道長が全盛期に詠んだ歌があります。
この世をば
わが世とぞ思ふ
望月の
欠けたることも
なしと思へば
三条院の歌と対照的な月の歌ですね。