17番目の勅撰和歌集「風雅集」その3

「風雅和歌集」

主な歌人
伏見院 85首
永福門院 68首
花園院 54首
為兼 52首
為教娘為子 39首
定家 36首
後伏見院 35首
光厳院 31首
徽安門院 (きあんもんいん) 30首
俊成 28首
進子内親王 28首
貫之 28首
永福門院内侍28首
後鳥羽院 27首
為家 26首
儀子内親王 26首
公蔭 24首
為基 22首

徽安門院 (きあんもんいん)は、花園院皇女で光厳院

進子内親王は、伏見院皇女

儀子内親王は、花園院皇女で徽安門院の妹

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足利尊氏の歌は16首収載されています。

巻9旅933

1336年2月、兵庫に敗走し、三草山を通り大蔵谷(今の明石市)で詠んだ歌。

詞書
世の中さわがしく侍りけるころ、みくさの山をとほりて大蔵谷といふところにて

いまむかふ
方(かた)は明石の
浦ながら
まだ晴れやらぬ
わが思ひかな

by 前大納言尊氏

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小学館「中世和歌集」によると
風雅集は、玉葉集の明るさが薄められ、閑寂、枯淡、薄明の美へと傾斜する様相がみられ、内観的、求心的と評されるが、
これは中世和歌の至りついた一つの高い境地と見てよいのではなかろうか、とあります。

時代を映し出しているのでしよう。
好きか苦手かの感覚は人それぞれでしょう。


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巻2春歌中199

花の上に
しばしうつろう
夕づく日
いるともなしに
影消えにけり

by 永福門院


巻5秋歌上478

ま萩散る
庭の秋風
身にしみて
夕日の影ぞ
壁に消え行く

by 永福門院


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巻3春歌下216

植ゑわたす
我が世の花も
春はへぬ
まして古木(ふるき)の
昔をぞ思ふ

by 伏見院御歌


伏見院が持明院殿に移り住まわれて、
花の木などをたくさん植え加えられて三年ほどたった後、花の咲いたのを御覧になって詠んだ歌。


持明院殿は、
もとは平安後期の廷臣藤原基頼の邸で、持明院という寺を建てた所から、持明院殿とよばれます。

1302年4月、伏見院がこの御所に移ったことから、持明院統の名が由来します。

京都市上京区新町通上立売の光照院(常磐御所)がその跡、とのことです。


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釈教歌2056

つばめなく
軒端の夕日
影きえて
柳にあをき
庭の春風

by 花園院御製

妙法蓮華経の薬王菩薩が我が身を焼いて供養し、火が消えた後の静かな景の尊さを象徴的に詠んだ歌。

勅撰和歌集入門」に、
『詠者の花園院ご自身の象徴的心象風景であると思われる』と書かれています。


つばめが鳴き、夕日がさしていた軒端は、やがて光が消え影が消え
あとには柳の青い枝を静かに動かす春風が庭に吹いている。


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賀歌2198

あし原や
乱れし国の
風をかへて
民の草葉も
今なびくなり

by 花園院御製

持明院宮廷(北朝)が栄えて、日本国が平和になったことを寿ぐ歌。


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巻軸歌(最後の歌)

賀歌2211

岩戸あけし
やたのかがみの
山かづら
かけてうつしき
あきらけき代(よ)は

by 正ニ位隆教

天の岩戸の天照大神の姿が映った八咫(やた)の鏡の名を持つ鏡山、
その山かずらを天鈿女命(あまのうすめのみこと)は頭に掛けて
天の岩戸が開けられた、
それと同じように今、目の前に現れた、輝かしい御代よ。

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以下は、「和歌史を学ぶ人のために」を参考にしてます。

『中世の和歌が分裂と対立を繰り返しながら形骸化していくなかで、『玉葉集』『風雅集』に代表される京極派和歌は水面にきらめく一瞬の光のように存在している。』


1352年に、光厳上皇・光明上皇らが南朝に連行され、天皇上皇不在の状況に陥った北朝は、
光厳上皇第二皇子の後光厳天皇を急遽擁立した。

二条良基『近来風体』によると、後光厳天皇は良基らの勧めによって、持明院統代々の京極派をやめ、二条派に転じたという。

京極派はこの事件を契機に廃れてゆく。

良基らの支持した二条派歌風は
平明優雅を庶幾(強く願う)するもので、
稽古修練によって多くの人が一定水準の歌を詠作でき、
天皇・公家に限らず、幅広い層にも親しまれているものであった。

勅撰集は原則として天皇上皇の発意によるものであったが、
以降(あと4集)は、武家室町幕府)の執奏により撰集の命が下ることになった。

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なるほど、だから風雅集は、乱世にきらめく一瞬の光のようで、惹かれるのでしょうね。

この後は戦国時代へ。
家康公の天下統一まで乱世が続きます。

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