(59)やすらはで 寝なましものを 小夜更けて

百人一首59番歌

やすらはで
寝なましものを
小夜更けて
かたぶくまでの
月を見しかな

 

「後拾遺集」恋2-680

 

by 赤染衛門(あかぞめえもん)
958年頃~没年未詳
大江匡衡(おおえのまさひら)の妻
曾孫は73番歌・大江匡房
中宮彰子に仕えた

 

あなたが来ないとわかっていたら、ためらわずに寝たものを、ずっと待っているうちに夜が更けて、とうとう西に傾いて沈んでいこうとする月を見てしまいました。

 

やすらはで=躊躇しないで

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「後拾遺集」の詞書に
中関白(藤原道隆)が少将のころ、赤染衛門の姉妹に「行くよ」と言って来なかった翌朝、姉妹に代わって詠んだ、とあります。

道隆は、54番歌の儀道三司母の夫。

道隆が少将の頃とは、974年から977年、22歳から25歳までで、その頃赤染衛門の姉妹の元に通っていたということです。

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赤染衛門は、父赤染時用が衛門尉(えもんのじょう、皇居警備)だったので、赤染衛門と呼ばれます。

赤染衛門は、土御門左大臣源雅信の娘倫子のもとに宮仕えしました。

倫子は藤原道長の妻となり、赤染衛門は、道長の娘彰子(中宮彰子)に仕えることになりました。

 

赤染衛門は穏やかな良妻賢母タイプだったそうで、同時代の才媛たち、紫式部清少納言和泉式部とも仲良く付き合い男女問わず友人が多かったようです。

 

夫の死後は尼僧となり、85歳以上まで生きたそうです。

田辺聖子さんが(自分の才能と生活を大切にして生涯を送った幸福な人間が浮かんで来る)と書いています。

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