(89)玉の緒よ 絶えなば絶えね ながらへば

百人一首89番歌

玉の緒よ
絶えなば絶えね
ながらへば
忍ぶることの
弱りもぞする


新古今集」恋1-1034
「百首歌の中に忍恋を」


by 式子内親王
1149~1201
後白河院第3皇女
同母兄弟姉妹に
殷富門院亮子内親王
以仁王
異母兄弟に
二条天皇
高倉天皇

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やがてはかなく切れる玉の緒のような我が命よ、どうせ絶えるならさっさと絶えてしまいなさい。生き長らえていたら、必死に忍び隠している力が弱まり、恋心を抑えきれなくなってしまうから。


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式子内親王は、幼い頃から10年間(1159~1169)賀茂の斎院として過ごし、病によって斎院を退きました。


京都賀茂神社の斎院は、伊勢の斎宮に倣って平安時代の当初から代々天皇家の皇女が担っていました。


式子内親王は、藤原定家の父・藤原俊成に師事して歌を詠み、
三条高倉殿(母の邸宅)に住んでいた頃(1181年)定家が父に同行して初めて三条高倉殿を訪れました。
以降、定家は折々に伺候しました。


平安末期、飢饉、疫病、大火、大地震、戦乱の中、姉妹宮の死、母君の死、兄弟宮・以仁王の死、と不幸に襲われ1194年頃出家し生涯独身で過ごしました。


勅撰集に多くの歌が入集し「新古今集」には女流歌人最多の49首が入集しています。

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