中国

中国の禹(う)伝説

今から4000年ほど前
(紀元前21世紀~紀元前16世紀)

気候変動で中国一帯は干ばつと洪水が繰り返され厳しい生活環境でした。


中国河南省偃師市の二里頭(にりとう)に、
中国最古の王朝・夏王朝(かおうちょう)があったそうです。


その始祖は、黄河の治水に功績があった禹(う)という人だそうです。


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夏王朝の都「二里頭遺跡


中国の河南省洛陽市偃師市翟鎮二里頭村で発見された新石器時代末期から青銅器時代にかけての都市・宮殿遺跡。


1959年に発見されて以来発掘や研究が進められている。


1960年に広大な宮殿跡や青銅器などの工房跡が発見され、中国最古の宮殿建築の基礎であることが確認された。
(面積10万平方メートルに及ぶ整然とした都市)

宮殿跡は東西300m、南北360~370m、城壁の幅約2m、順序よく配列された建築群や、青銅器の祭祀用品が見つかっている。


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禹(う)の治世伝説

即位後暫くの間、
武器の生産を取り止め、
田畑では収穫量に目を光らせ農民を苦しませず、
宮殿の大増築は当面先送りし、
関所や市場にかかる諸税を免除し、
地方に都市を造り、
煩雑な制度を廃止して行政を簡略化した。


更に禹は、
河を意図的に導くなどして様々な河川を整備し、周辺の土地を耕して草木を育成した。

禹は倹約政策を取り、自ら率先して行動した。 『竹書紀年』に依れば、45年間帝であったという。


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理想の治世が描かれてますが・・主にWikipediaからメモしました。

紀元前1628年に地球規模の気候変動があり、夏王朝は殷に滅ぼされたそうです。


後、秦の始皇帝は、伝説の王朝「夏王朝」を利用して(秦も夏王朝だったのだ、と)人臣を掌握したそうです。

そして、夏(か)➡華として、それが今の中華となったそうです。


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禹(う)伝説のメモでしたφ(.. )


・・ふと、思いましたが、コロナ禍で中国の大気汚染が一時良くなり「青空が見えた(喜)」というニュースが以前ありましたが、今はどうなってるんでしょうね・・


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中国天壇に、愛新覚羅溥儀の末裔という人が書を書いて販売されてました。

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ほんとかな?と思い、私たちは買いませんでしたが、高いお値段で買ってらした人たちもいました。

今は随分お歳をめされたと思いますが、まだ書いて居られるのでしょうか。


中国は、とにかく広くて人も多いです。
故宮紫禁城は宝物はほとんど残ってませんが、皇帝が暮らしていた城を観光できて楽しかったです。
私は万里の長城が良かったです。
パンダ!とても可愛かったです
(^-^).。*♡
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