平家が壇ノ浦で滅亡し、源 頼朝が鎌倉幕府の初代征夷大将軍となってから、初めての勅撰和歌集。
宣下は、後鳥羽上皇。
1180年 源頼朝挙兵。鎌倉に本拠を置く。
1185年 壇ノ浦で平氏滅亡
1187年 「千載集」成立
1199年 源頼朝、死去、満51歳
1202年 源頼家、鎌倉幕府2代征夷大将軍(1203年解任され、1204年暗殺される。満21歳)
1205年 和歌を好む源実朝、披露前の「新古今集」を京から運ばせる。
1205年 「新古今集」成立
実朝の実子はいなかった為、源氏将軍・河内源氏棟梁の血筋が断絶。
日本史上、初めて臣下が上皇を処罰。
幕府が朝廷より優位となった。
1226年 藤原頼経(九条頼経)が鎌倉幕府4代征夷大将軍・摂家将軍となる。
実権は執権の北条氏、北条義時・政子。
九条家(5摂家のひとつ)
初代兼実(藤原忠通の6男)
↓
良経(百人一首91番歌)
↓
道家
↓
頼経(鎌倉4代征夷大将軍)
↓
頼嗣(鎌倉5代征夷大将軍)
その後
皇族で初めての征夷大将軍。
以降、鎌倉幕府滅亡の第9代将軍まで、皇族将軍(宮将軍、親王将軍とも)
1192年〜鎌倉時代
鎌倉将軍1代 源頼朝(源氏)
鎌倉将軍2代 源頼家(源氏)
~この先「新勅撰集」から「新続古今集」までの勅撰和歌集を 『十三代集』という~
鎌倉将軍4代 藤原(九条)頼経(摂家将軍)の時①「新勅撰集」成立
鎌倉将軍5代 藤原(九条)頼嗣(摂家将軍)の時②「続後撰集」成立
弘安の役(元軍襲来、漂没)
皇統が南北に分裂
鎌倉将軍9代 守邦親王の時
⑥「玉葉集」(北朝・持統院統・伏見院下命)
⑦「続千載集」(南朝・大覚寺統・後宇多院下命)
⑧「続後拾遺集」(南朝・大覚寺統・後醍醐天皇下命)
1333年 鎌倉幕府滅亡
室町将軍1代 足利尊氏の時
⑨「風雅集」(北朝・持統院統・花園院と光厳院が下命?)成立
室町将軍2代 足利義誼の時
北朝・持統院統・後光厳天皇下命の⑩「新千載集」⑪「新拾遺集」成立
室町将軍3代 足利義満の時
北朝天皇下命⑫「新後拾遺集」成立
(直前の「新葉集」は准勅撰集とされる)
(南北朝統一)
室町将軍4代 足利義持
室町将軍5代 足利義量
室町将軍6代 足利義教の時
最後の勅撰和歌集⑬「新続古今集」(北朝天皇下命)成立
『八代集』と『十三代集』合わせた『二十一代集』以降、勅撰和歌集は編纂されていません。