鎌倉時代、沖縄では王朝時代、グスク時代でした。
グスク
室町時代、沖縄は琉球王国となりました。
(明国に進貢船を送り「琉球」と命名される)
首里城
江戸時代、薩摩が沖縄上陸
1771年、明和の大津波
1800年代、イギリス軍艦、オランダ商戦、アメリカペリー総督、来航
昭和時代
1941年、太平洋戦争勃発
1945年、アメリカ軍が沖縄に上陸、日本敗戦、アメリカによる沖縄統治が始まり、日本本土から沖縄に行くにはパスポートが必要になりました。
1951年、サンフランシスコ条約で、沖縄と奄美が米軍の施政権下におかれました。
1952年、琉球政府発足
1969年、沖縄返還日米共同声明
1972年、5月15日、日本に復帰し沖縄県となり、パスポートがいらなくなり、通貨交換(ドルから円に)が行われました。
当時は、1ドル300円~320円位。
(ドル円は、1949年4月から1971年8月まで固定制で、360円でした)
1975年、「沖縄国際海洋博覧会」開催
1978年、交通方法が変更され、アメリカ方式から日本法式になり、車両は右側通行から左側通行になりました。
1992年、首里城正殿などを復元
1995年、「平和の礎(いしじ)」建設
2000年、九州・沖縄サミット開催
2003年、太平洋・島サミット開催
2014年、慶良間諸島、国立公園に
2019年、首里城火災、現在再建中です。
第二次世界大戦の爪痕を残す「ひめゆりの塔」「バンザイクリフ」そして。。
「平和祈念公園」
沖縄戦で亡くなられた人々の氏名を刻んだ「平和の礎」、沖縄県民12万人以上、こんなに沢山の方々が亡くなられたなんて残酷です。
都道府県別慰霊碑があるので、自分たちの居住地の慰霊碑にも手を合わせてきました。。
「黎明之塔」
沖縄戦に於ける戦没者慰霊碑が数多く建立されている沖縄県営平和祈念公園の摩文仁の丘。
丘の頂上にある大きな塔は「黎明之塔」です。
1945年(昭和20年)
4月にアメリカ軍が沖縄本島に上陸し沖縄は激しい戦場となり、
総司令部が置かれていた首里城も焼け落ち、
6月23日(または22日)
沖縄守備軍司令官牛島満大将と参謀長長勇中将が、この塔に程近い司令部壕で自決し、
日本軍の組織的戦闘は終結しました。
諸説ありますが、 降伏さず最後まで徹底抗戦を示して自決したことにより、降伏できずに多くの犠牲者を出したと批判されることがあります。
戦争で亡くなられた全ての命に合掌します。
どうぞ安らかに。。
「美ら海水族館」
二度目の沖縄旅行で行きました。
巨大水槽「黒潮の海」、全長8.8mのジンベイザメやナンヨウマンタなど多種多様な魚たちが悠々と泳いでいます。
餌やりも迫力があります。
目前で見上げることができとても感動しました。
「深層の海」水槽には普段の海では見ることができない深海の生き物たちが
「サンゴの海」ではサンゴ礁とそこに暮らす生き物たちがいます。
水族館の外には綺麗な海が広がっています。
本当に美しい美ら海です。
沢山の観光スポット、サトウキビ畑、
象の鼻、グラスボート、エイサー、琉球ガラス、国際通り、食事も美味しかったです。